はじめに

 

「アフリカに行きたい。」

そう思った理由はいつからだろう。

 

子供の頃に見た映画「ライオンキング」の影響だろうか。

人種差別が激しい祖母が、一緒に見たテレビ番組でアフリカ出身タレントを「こいつ、キライや」と一蹴した時からだろうか。

外務省に務めている父親に「出来が悪い新入り職員はアフリカに飛ばされるぞ」と聞かされた時からだろうか。

 

どこかで、アフリカは気になる存在だった。

幼い頃から「海外」という言葉が身近だった私でも、アフリカはどこか遠い存在に感じていた。

 

 

 

出会った旅人たち

 

大学生の時、よくバックパッカーとして東南アジアやヨーロッパを旅していた。

旅先で出会った上級者バックパッカーは皆、アフリカに行っていた。

 

半年以上かけてアフリカを縦断した人

強盗銃を突きつけられ所持金全て失った人

マラリアにかかって死にかけた人

 

そんな恐ろしいエピソードさえも、笑って話す彼らは何かが違っていた。

 

 

彼らが持つ雰囲気は、私なんかの「大学生が長期休暇の時だけ旅人になります」というそれとは全く違っていた。

彼らには、ちょっとの事では驚かない、何が起きても怖くないという姿勢があった。

むしろ、死にそうな目に遭っても、ネタに変えられる余裕すらある。

 

 

 

私も初めての海外一人旅は怖いものなんて無かった。

 

狂犬病に冒された「バイオハザード」のような犬に追いかけられた時も、

陸路で国境を越え、入国審査が私だけ遅くなり乗るはずだった長距離バスに乗り遅れ置いてきぼりにされた時も、

数名の偽物の警察官に賄賂をよこせと囲まれた時も、毅然としていた。

 

「帰国した時の土産話ができた」と1人で笑っていた。

 

 

 

 

いつから慎重に旅をするようになったのだろう

 

2度目の一人旅、私の旅のテーマは「友達との再会」だった。

学生時代に外国人観光客のガイドをしていたため、海外(特にヨーロッパ)に多くの友達がいる。

 

バックパッカーと言えど、しっかり計画を立て、友達がいる国ばかりに出かけた。

こちらが相手の予定に合わせて泊まらせてもらったり、街を案内してもらう。

友達に会うには「何日にはあなたの街に着くよ」と連絡するのが礼儀なので、

いわゆる行き当たりばったりの旅をする典型的なバックパッカーではなくなっていた。

 

宿代が浮く代わりに、現地の友達と美味しいご飯を食べたり、美術館でアートを鑑賞する。

貧乏バックパッカーには到底できない旅を、2度目の旅で味わってしまったのだ。

 

 

 

「コソボ」に訪れ、イメージで国を判断するのを止めた

 

3度目の一人旅で東ヨーロッパを周遊した際、コソボという国に訪れた。

マケドニアで出会った韓国人バックパッカーに「一緒にコソボに行かないか?」と誘われたのだ。

 

「セルビアからは入国が難しいから、コソボに行くならマケドニアからが良い。今がチャンスだ」と。

 

コソボは内戦のイメージしかなく、見どころもそんなに無いだろうと思っていたので正直迷った。

ヌルい旅に慣れてしまっていたから尚更、腰が重たかった。

でも、行かないと後悔するような気がして、直感を信じて行くことにした。

 

 

アジア人が珍しいのか、ジロジロと見てくる年配の人たち。

目が合うと知ってる英単語をたくさん使って話しかけてくる子供たち。

「どこから来たの?」と聞いてきてくれた同い年くらいの女の子たち。

礼拝の時間になると聞こえるアザーン。

ヨーロッパなのに、舗装されていない道路。

ヨーロッパなのに、貧しさを感じる町。

違和感と、優しい空気。

50%の緊張感と、50%の高揚感。

 

 

 

子供の時から培った海外の知識が何も通用しなかった。

父親から、この国は何が有名で、どんな資源があって、どんな国民性で、という知識を頭に刷り込まれてきた。

あとは自分でどんどん吸収してきた。

でも、この国の予備知識は教科書に書いてあった内戦のことだけ。

 

全神経を使って知らない土地を味わったのは、それが初めての経験だった。

それからは「今まで行った国でどこが1番よかった?」のテンプレ的な質問には「コソボ」と答えるようになった。

(今はコソボかセネガルで迷う時がある)

 

 

 

 

結婚したら、もう一人旅はできない

 

去年の春、私は「最後の一人旅」に出た。

結果としてそれが最後になることはなかったのだけども。

 

当時、私には婚約者がいて、「結婚したら1人で海外に行かないでくれ。行く時は俺と、安全な旅を楽しもう」と言われていた。

彼のことが好きだから、仕方ないと受け入れようとした。

 

しかし、「もし私がアフリカに行きたいと言ったら着いてきてくれるの?」と言うと、

「行こう。でも、仕事があるから1週間とかの短い期間で、旅行代理店を通して安全を約束できるなら良いよ」

 

彼は本当に海外とは無縁の人だから、そう言ってくれるだけでもありがたかったし、

相手は軽い気持ちで「旅行いきたいね」と言っても「じゃぁ今すぐ飛行機取ろう」とすぐ鵜呑みにして行動に移してしまう私に「アフリカも一緒に行くよ」と言う事は、彼にとっては勇気のいることだったと思う。

 

 

彼と結婚してもアフリカに行ける。

だけど、望んでいたものとは違う。

勝手な偏見だが、旅行代理店を通すのは「違う」のだ。

私が欲しいのは、誰かに作られたイメージを「ああ、やっぱりね」と確認するための旅ではない。

もっと「知らない」国に行きたい。

知らない国で、新しい事を吸収したい。

 

私は、彼を説得して「最後の一人旅」としてセネガルでフランス語留学をすることを決めた。

 

 

 

初めてのアフリカ「セネガル」

 

ダカールに着いた瞬間、質素な作りの空港を見て武者震いした。

 

セネガルに到着する前にインドを周遊し、ムンバイから飛行機に乗ってきたので、

日本から来る人よりもギャップは少なかったと思うが、それでも「アフリカ感」に圧倒された。

 

 

「コソボ」での学びから、知識に邪魔されずセネガルを楽しみたいと思い、

下調べを全くしていかなかった。

 

なので、現地の人がオススメする観光地に行き、

現地の人が作ってくれたご飯を食べ、

ウォロフ語という現地語を学んだ。

 

 

週3回のマンツーマンのフランス語の授業で課される「ノートに6ページ仏語作文を書く」という課題もなかなか辛かった。

はじめは丸1日かけて課題を終わらせていたが、慣れたら2〜3時間でできるようになった。

フランス語の先生アイシャは同い年で、彼女に日本の紹介をしたり、セネガルについて質問をたくさんした。

恋バナにも付き合ってくれたおかげで、フランス語での恋愛会話はマスターした。

その時間が楽しかったから、フランス語の勉強も苦しくなかった。

 

 

 

お世話になる宿のオーナーが「閑静な住宅街にあるので落ち着いてフランス語の勉強ができますよ」と言っていたが、閑静すぎて何もない。

何もないが、十分すぎるくらい満ち足りていた。

 

人懐っこい子供達の笑顔、

たまに飛んでくるサッカーボール(私の顔にクリーンヒットしたのは良い思い出)

笑顔が素敵な女性たち、

毎朝パンを買いに行く度に世間話に付き合ってくれるお店の店主、

セネガルで活動する日本人起業家やJICAのスタッフ、

どこまでも着いて来る犬、

美味しいご飯、

色鮮やかな服、

大西洋、

しょっちゅう起こる断水や停電、

ハエだらけのレストラン、

大雨のせいで水浸しになったゲストハウス、

それを笑って写真を撮る仲間たち。

 

 

 

全てが「初めて」だった。

毎日刺激が強すぎて、高熱を出し寝込んだこともあった。

そのくらいが、ちょうど良かった。

 

私は、全身で「ここにいる」と感じられた。

 

 

貧しい、不便というイメージを楽しむと同時に、

イメージを勝手に覆したいと思う自分がいた。

来ないと分からないセネガルの魅力。

純粋に「好きだ」と言える国。

ここにずっといられるなら、多少の不便なんて気にならない。

 

 

彼らにとって、日本はものすごく遠い国だ。

私たちにとっても、セネガルは遠い。

だけど、きっと近いうちに帰れるはず。

 

 

 

 

もっとアフリカを見たい

 

日本に帰国し、アフリカで活動している人たちと交流を持つようになった。

ベナン、ルワンダ、シエラレオネ、南アフリカ、ケニア…

 

正直、国名を言われても場所すら分からない時もある。

その人たちの話を聞いていると、国民性、服、食べ物、文化が微妙に違うと知れて面白い。

セネガルに行くまで「アフリカ」と一口に数えていたが、アフリカ系の交流会では国毎にフォーカスが当たる。

国によって全く違う色を持つ。

 

もっと見たい。

 

 

東ヨーロッパのコソボで旅の醍醐味を味わい、

西アフリカのセネガルに行ってから世界が広がった。

 

全く違う2つの国が、今の私を作ってくれた。