趣味は貧乏旅行とイケメンアラフォー探し。みあのプロフィール

私について

 

25歳、B型一人っ子のみあです。

早速ですが自己紹介をしたいと思います。

 

幼少期

1993年、父親の仕事の都合でタイのバンコクで生まれました。

初産にも関わらず海外に妊娠・出産をした度胸のある母と、お手伝いさんに伸び伸びと育てられ、バンコクの日本人コミュニティーの中の子供同士が私の世界の全てでした。

お手伝いさんがいたといっても、決して金持ちだったというワケではありません。

海外で生活する日本人にとっては慣れない海外生活のサポートをして、信頼できる家政婦さん的なカジュアルな感じです。

ちなみにお手伝いさんの名前は「サンパンさん」でした。

アンパンマンが大好きだった私は、たまにサンパンさんとアンパンマンを言い間違えていたとかいないとか。

 

当時の趣味は気に入った家具にシールを貼りまくること。

今でもセーラームーンがギッッッッシリ貼ってある椅子が実家に残っています。

 

小・中学校では陰キャラ

 

友達はいない方が楽だけど、いなかったら可哀想な目で見られるから、とりあえずどこかのグループに属しておくか〜。てか学校行く意味あるの?ってやる気のかけらもない子供でした。

 

ちなみに、ピアノを習っていたのですが、ピアノや楽譜が生理的に嫌いでずっとサボっていました。

親や先生からめちゃくちゃ怒られるんですけどね、「やりたくないものはやりたくない!!!」と意地になって結局サボり癖は大人になるまで抜けませんでした。てへぺろ←

 

そして恋をすると人格が変わりまくるのがこの頃の特徴。

クラスに好きな子ができてからは毎日ハッピーでたまらない。

彼の隣になるために友達を買収したりと、席替えに命をかけていました。

 

中学では剣道部に所属しました。理由は「犬夜叉」と「新撰組」が好きだったから。

1年の頃に3年生の先輩に恋をして、毎日練習に励んでいたのですが(先輩を見たかっただけ)、先輩が卒業してからは部活に行く意味がなくなり、ずっとサボって友達と放課後フラフラしていました。

幽霊部員のまま卒業してしまうのですが、次に夢中になれるもの(男)を見つけました。

数学の先生でした。

今思えばタイプでもなんでもなかったんですけどね。

笑顔が可愛い大人男子に夢中になって、大嫌いだった数学がクラストップになるほど数学が(先生が)大好きでした。結局、見ているだけて終わってしまいましたが。

 

 

高校時代はモテ期・英語ハマり期

 

この頃が人生で最もスタイルが良くて、スッピンでも駅とかでナンパされたりして調子に乗っていました。

そして私の「年上好き人生」が開き始めたのもこの頃。

当時は1歳年氏の生徒会長(イケメンで勉強できるオタク男子)と付き合っていたクセに、30代の塾の英語の先生に1年くらい片思いしていたり。

結局その先生が既婚者だと後で知り、1人で自習室で泣いたのは今では良い思い出。

まぁ、その先生のおかげで英語が得意科目になったんですよね。

模試で良い成績をとったら先生に頭なでなでしてもらえるからって頑張っていました。

 

そして失恋した後、生徒会長だった彼氏と別れて塾で知り合った進学校のイケメンマッチョに告られて付き合ったのでした。

 

浪人時代にブログと出会う

 

恋愛にうつつを抜かしすぎて大学受験は惨敗。笑

イケメンマッチョの彼氏と同じ予備校に通い、1年間浪人しました。

結局彼とは大学1年の秋頃に別れましたが…(2年も付き合っていた)

この頃にブログというツールに出会いました。書くのではなく読む専門でしたが、女一人で初海外、しかも世界一周をしている方のブログを読んで「私も早くバイトしてお金貯めて、大学生になったら海外に行きたい!」と憧れるようになりました。

 

大学時代<ザ・私、開花>

 

 

大学受験も無事終わり、法政大学法学部国際政治学科へ入学。

「1年間人より遅く大学に入るんだから、誰よりも充実した学生生活を送るんだ!!」と意気込んでいました。

そこで始めに打ち込んだのは訪日外国人との国際交流でした。

旅行者のサポートをしながら都内を一緒に観光したり、マイクロバスで相乗りして一緒に民泊しながら日本横断したり。

24時間、長い時には1週間以上も外国人と一緒に過ごすというのは、とても刺激的。

参加者は2、3名の小規模なイベントから、多い時で20名の定員を超える日も。

いろんな国の人がいて、いろんな性格の人がいて、いろんな旅のスタイルがあることを最前線で味わうことができたし、世界中に友達ができた。

そして何より、「日本でクレイジーだけど素敵な国だね!」と言ってくれるのはとても嬉しかったですね。

大学4年間で約30ヶ国、200名の外国人と関わることができました。

 

彼らのような「旅の先輩」がたくさんいたことで、私自身も何の不安もなくバックパッカーデビューができました。

「4年間で卒業する」と親との約束があったので、休学せずに長期休暇を利用しながら25ヶ国もの国に訪れることができました。

 

基本的にフットワークがものすごい軽かったので、いろんな出会いがありました。

外国人、イベントで知り合った社会人、もちろん大学内でも。

おかげで4年間彼氏を絶やすことなくリア充も満喫していました。(自慢)

別れて「恋愛に疲れたからしばらく彼氏はいいかな〜」とか言っておきながら、数日後には新しい男との写真をSNSにアップする女。

それ、私です。

 

 

就職するが、結局またバックパッカーに

卒業後は大手不動産会社(商業施設を運営・管理するディペロッパーという業種)の総合職として入社しました。

実は大学時代から付き合っていた年上の彼氏がいたので、「嫌になったらいつでも結婚を理由に辞めてやる」という死ぬほど低いモチベーションでスタート。

(実際に結婚の話は出ていた)

当時、ソリの合わない上司と働くのが苦痛だったのと、室長のパワハラやセクハラを受けていて、毎晩彼氏にベソかきながら電話して愚痴っていました。

「嫌なら辞めて好きなことしちゃえよ。結婚する前にまた羽ばたいてこいよ」と背中を押してくれて、結局半年で親に相談もなく辞めました。

その後は九州や中国地方を中心に小さいリュック1つで旅をして、お金が底を尽きる頃にリゾートバイトとして福島のホテルで働き、半年後には海外へ。

帰国後は箱根のホテルで再びリゾートバイト。その頃に、当時の彼氏と別れてしまうのですが。

 

 

そして今に至る。

 

 

最後に

 

長くなってしまったので、今回はこれまでにします。

ざっくりと私がどんな人間なのか分かっていただけましたか?(無理矢理)

・やりたいことはやりたくない

・ダメになったら逃げる

・男には困らない人生だった

・夢中になったらやばい

こんな単純な人間です。

どうぞよろしくお願いします!

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ABOUTこの記事をかいた人

1993年タイ生まれ千葉育ちのブロガー、webデザイナー。 バックパッカーとして法政大学法学部在籍中に25ヶ国訪問。 卒業後は大手ディベロッパー企業に就職するが半年で退職し、日本周遊。その後は福島や箱根のホテルで働き再び海外へ(現在32ヶ国)。 20歳の時に50歳からプロポーズされたのを機に自称モテ人生が始まる。 22歳で17歳年上のアラフォー男性と婚約するも、11歳年上の男性に走り婚約解消する。 得意分野は「旅」と「年の差恋愛」。